大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和42年(ワ)7914号 判決 1973年5月30日

原告 鈴木章雄 外三名

被告 学校法人 東海大学

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  原告ら

(一)  昭和四一年(ワ)第一二、七八七号事件につき

原告鈴木章雄、同増淵利行が被告の設置する東海大学工学部の各学生である身分を有することを確認する。被告が昭和四一年一一月五日付で原告海法俊一、同佐藤昇に対してした各無期停学処分が無効であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

(二)  昭和四二年(ワ)第七九一四号事件につき

原告海法俊一が被告の設置する東海大学工学部の、同佐藤昇が右大学文学部の各学生である身分を有することを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文と同旨

第二当事者の主張

一  原告らの請求原因

(一)  原告鈴木章雄は被告が設置する東海大学工学部応用理学科応用物理学専攻の学生(昭和三八年度生)、原告海法俊一は同大学工学部電気工学科通信工学専攻の学生(昭和三九年度生)、原告佐藤昇は同大学文学部広報学科の学生(昭和四〇年度生)、原告増淵利行は同大学工学部建築学科の学生(昭和四〇年度生)としてそれぞれ右大学に在籍するものである。

(二)  被告は、昭和四一年一一月五日付で原告鈴木(当時四年生)を退学処分にし、原告海法(当時三年生)、同佐藤(当時二年生)をそれぞれ無期停学処分にし、その旨各本人に通告した。

さらに、被告は昭和四二年五月一二日付で原告海法を退学処分にし、その旨を本人に通告した。

被告の右原告らに対する昭和四一年一一月五日付各処分理由は、単に「学生生活に関する規則一四条、一六条、一八条に違反したので学則三三条(右各条文の内容は別紙一のとおりである。)により処分する。」とのみ説明し、原告海法に対する昭和四二年五月一二日付処分の理由は、同原告が被告より前記無期停学処分を受け、自宅において謹慎するよう指示されていたにもかかわらず登校を続け、一般学生を動揺させるような言動をしたというにあつた。

(三)  しかしながら、右原告ら三名のいかなる具体的行為が前記各規則のどの条文に該当するのか明らかではないし、原告らが学生の本分に反する行為をしたり、学内秩序を乱したりしたことはない。ことに、原告海法に対しては先に無期停学処分を受けていながらその後不謹慎な行動があつたことを理由にさらに退学処分をしているが、同原告は右無期停学処分についてはその無効を主張して本訴で争つているほどであるのに、これを理由に重ねて退学処分を受けるいわれはない。したがつて、右各懲戒処分はいずれも正当な理由を欠き、権利の濫用として無効である。

(四)  被告は、昭和四一年一一月一日付で原告増淵に対し、また、昭和四二年一月七日付で原告佐藤に対し、学則三二条によりそれぞれ除籍することを決定し、その旨を各本人に通告した。

(五)  ところで、学則三二条は授業料その他の学費を所定の期日までに納入しない者は除籍することがある旨を定めているが、他方、学生生活に関する規則二四条(その内容は別紙一のとおりである。)は、右規定により除籍された者は除籍の日から三か月以内に復籍願を提出すれば教授会の議を経て復籍を許可されることがあると定めており、東海大学における従来の取扱いは、復籍願を所定の期限内に提出した者にはすべて復籍を許可するのが例であつた。

原告増淵は昭和四一年一一月八日付で、同佐藤は昭和四二年三月一六日付で被告に対しそれぞれ復籍願を提出したが、被告は、現在に至るまで何ら正当な理由もなく右原告両名に対しその復籍を許可しない。

(六)  よつて、前記申立記載のとおりの判決を求める。

二  被告の認否

請求原因(一)項のうち、原告らが東海大学に現に在籍するとの点を除きその余は認める。原告らはその主張の被告による本件各処分により既に退学ないしは除籍されている。同(二)項の原告ら主張の各処分をしたのは、東海大学総長であり、同処分の内容は同大学学生部長田代秀徳を通じて各本人に通告された。同項のその余の点は認める。同(三)項は否認する。同(四)項の原告ら主張の各処分をしたのは被告の設置する東海大学であるが、その余の点は認める。同(五)項のうち、右大学の学生生活に関する規則二四条に原告ら主張の規定があることおよび原告増淵、同佐藤がそれぞれその主張の日時復籍願を提出したが、現在までこれが許されていないことは認めるが、その余の点は否認する。

三  被告の主張

(一)  被告の設置する東海大学は、科学的実証主義による人道的民主主義に基づく教育をなすことをもつて進学の精神とするものである。この基本的理念を基礎として、学問の場にふさわしい静粛と秩序ある環境において、新しい科学の創造とこれにふさわしい歴史観、世界に立脚した使命感に燃える人材の養成を目ざし、理事者、教職員および学生の三者一体となり、右建学の理想達成に邁進している。したがつて、人道的民主主義と撞着する極左、極右の教条主義は建学の精神と相容れないのである。

(二)  東海大学学生会は、東海大学全学生を構成員とし、代々木学生会、湘南学生会、第二工学部学生会および折戸学生会より構成され、その最高の執行決議機関が合同委員会であり、同委員長は東海大学学生会を代表する。

当時、原告鈴木は右合同委員会委員長、原告海法は代々木学生執行委員長、右合同委員会委員、原告佐藤は湘南学生会執行委員、右合同委員会委員、原告増淵は湘南学生会執行委員長、右合同委員会委員であつた。

(三)1  原告らは、昭和四一年四月以降無届、無許可の集会、掲示、印刷物配布など東海大学学生生活に関する規則等違反の行為を数多く重ね、大学側の口頭または文書による度重なる警告にも耳を藉さず、かえつて、一方的に押しつけられた学則を無視しようという「大学の警告文に対する反論」なる文書を掲示するなどその指導的立場を利用して積極的に学内の諸規則を無視し、その実践的活動を通じて学内における教育的環境とその秩序を乱して学生の本分に反したばかりでなく、さらに、昭和四一年一〇月一二日付合同委員会発行の「東海大学学生会会報」(三頁)において、東海大学建学の精神およびその目的を真向から否定する見解を煽動的に発表した。

2  原告らの右規則違反行為の具体的内容は、別紙二ないし五のとおりであつて、ビラ等の内容が特に問題とされたのは次のとおりである。

(ア) 別紙二(原告鈴木)の(17) 同原告が昭和四一年九月七日無届、無許可で配布した「応援団暴力事件に関して責任を回避する大学当局」というビラの内容は、同年八月一三、一四日の赤城山における東海大学応援団暴力事件に関し同大学がとつた態度について東海大学学生会合同委員会の見解を述べたものである。この記事は、右大学が「暴力行為を肯定した」と断じ、また、「大学と応援団のなれ合いの結果の暴力事件」と表現し、同大学が応援団に対し「親分子分の緊密度を深めさせ」たといい、特に同大学職員白石正および山本皓彦の名を挙げて、両名が「責任を感じていない」、「暴力を否定せず」、「暴力を助長している」旨を述べるなど虚偽中傷にわたる内容のものである。

(イ) 同別紙の(19) 右原告が同年一〇月一二日無届、無許可で復刊した「東海大学学生会会報」の第三頁は、東海大学建学の精神およびその目的を真向から否定するものである。

(ウ) 同別紙の(20) 右原告は、同月一七日無届、無許可で配布したビラ「十月十九日昼休み協助会帳簿提出要求全学集会」の中で協助会は「大学側理事が学生理事をあやつる慣れ合いの中で運営されてきた」とか「協助会が大学当局に私物化され、その利益機関と化して来た」とか述べているが、これらは虚偽中傷にわたるものである。

(エ) 別紙三(原告海法)の(8) 同原告が昭和四一年一〇月一八日無届、無許可で配布したビラ「声明、当局の『学費値上げ』の回答に対する代々木執行委員会の反論『東海大学』殿」中第二三行目以下第三〇行目までの記述は、事実を歪曲したものであり、特に東海大学職員中四名の個人名をあげて非難していることは、虚偽中傷、名誉毀損にあたるものである。

(オ) 別紙四(原告佐藤)の(7) 同原告が昭和四一年一〇月五日無届、無許可で配布したビラ「砂子、橋本両理事を弾劾する」は、東海大学職員砂子、橋本両名を「暴力団理事」と非難し、また、右両名が協助会を「完全に私物化している」と述べているが、これは虚偽中傷、名誉毀損にわたるものである。

(カ) 同別紙の(4) この内容は前示(ウ)と同一である。

(キ) 別紙五(原告増淵)の(1) 同原告が昭和四一年五月一八日無届、無許可で配布したビラ「執行委員会アピール」は、事実を歪曲し、虚偽中傷にわたる内容のものである。

(ク) 同別紙の(4) 右原告は同年一〇月三日無届、無許可で配布したビラ(湘南執行委員会通達」のなかで、「現大学側協助会運営理事(代表砂子理事)の不正な運営で」とか「大学側砂子理事を中心に、その回りにくつついている権力者連中の私腹を肥している」等と述べているが、これは虚偽中傷、名誉毀損にわたるものである。

(ケ) 同別紙の(6) これ内容は前示(オ)と同一である。

(コ) 同別紙の(7) 右原告は、同年一〇月七日無届、無許可で配布したビラ「湘南執行委員会通信」のなかで、石田教授、山本秘書課長、砂子、橋本両協助会理事の名をあげ、「石田、山本の両監事は本来の任務を遂行するどころか、現協助会の『ガン』砂子、橋本両業務理事の数千万円におよぶ不正を見過しているのだ、石田、山本両名は協助会の不正に一役も二役も買つているのだ」と述べ、また、「現在協助会は、大学当局の一部の者の利益のために私物化されている」と述べているが、これらは虚偽中傷、名誉毀損にわたるものである。

(四)  よつて、東海大学総長は、主任教授会、各関係教授会、学部長会議の議を経たうえ、学生生活に関する規則一四条、一六ないし一八条に違反し、学生の本分に反するものとして学則三三条により昭和四一年一一月五日付をもつて原告鈴木を退学処分、同海法、同佐藤両名を無期停学処分にそれぞれ処し、さらに、原告海法に対しては昭和四二年五月一二日付をもつて退学処分に処し、その旨をそれぞれ本人に通告した。

(五)1  東海大学では、昭和四一年九月二五日までに納入すべき学費(同年後期分)を納入しない学生に対し、同年八月三〇日ないし三一日付で予め学生の保証人に通知をなし、一〇月一八日湘南校舎において「期日が過ぎているので手続をしないと除籍になるので至急家庭と連絡をとり確認するように」という趣旨の掲示をしたにもかかわらず、原告増淵は右未納学費を納入しなかつた。

2  ところで、東海大学では、従来学費未納者の除籍処分については、教授会において議決していたのを、昭和三九年九月一四日の工学部教授会において、今後は自動的に行ない、教授会に対しては事後報告をすることに改められた。

そこで、原告増淵に対しては、教授会の議を経由することなく、学則三二条および学生生活に関する規則二四条により昭和四一年一一月一日付で同人を除籍することにし、その旨同人に通告し、同月二一日の工学部教授会においてこれを報告のうえその承認を受けた。

3  原告佐藤は、昭和四一年一一月二五日までに納入すべき学費(同年九月二五日までに納入すべきものを学費延納願により二か月の延納が認められた。)を右期日までに納入しないので、東海大学は、昭和三九年九月七日文学部教授会においてなされた学費未納者の除籍処分について今後自動的に行ない教授会には事後報告をする旨の決定に従い、原告佐藤に対し昭和四二年一月七日付をもつて学則三二条および学生生活に関する規則二四条により同人を除籍することとし、その旨を同月三〇日同人に通告し、これを右教授会に通告のうえその承認を受けた。

(六)1  東海大学では、昭和四一年一一月一八日の主任教授会において、学費未納除籍者の復籍についての許可基準として在籍時の出席状況、単位取得状況(成績許価)、過去の学費その他の支払状況、その他在籍時の修学状況を考慮することとし、その決定は教務部長の裁定に一任することを確認した。

2  原告増淵より昭和四一年一一月八日復籍願が提出されたが、同人は前記のごとく学内規則違反行為多数に及び、その実践的諸活動を通じて学内における教育的環境とその秩序を乱して学生の本分に反したのみならず、建学の精神とその目的を真向から否定しており、在籍時の修学状況がよくないので、牧野教務部長は復籍の許可基準に該当しないものと裁定し、さらに、昭和四二年二月一三日の主任教授会においても不許可の決定がなされた。そこで、東海大学総長は、同年三月一七日右原告に対し復籍願は同一五日付で不許可となつた旨を同人に通知した。

3  原告佐藤より昭和四二年三月一六日付で復籍願が提出されたが、同年五月六日の文学部定例教授会において、同人は先に無期停学処分に処せられたにもかかわらず、全く反省するところなく、前記のとおり学内規則違反の行為を重ね、その実践的諸活動を通じて学内における教育的環境とその秩序を乱して学生の本分に反したのみならず、在籍時の修学状況がよくないので、同人に対しては復籍を許可しないことに決定し、同年五月二〇日東海大学総長より右原告に対し、復籍願は同月一九日付で不許可となつた旨を同人に通知した。

四  被告の主張に対する原告らの認否と反論

(一)  学生の組織運営が学生の自主活動によるべきことは、東海大学学生生活に関する規則一四条の明文ならびに憲法一九条、二一条、二三条、教育基本法の各規定の趣旨からも明白である。したがつて、大学当局の学生に対する指導が右趣旨から逸脱し、学生の自主活動を妨害し、学生の社会性と民主的人格の涵養を阻害することは許されない。

(二)  昭和四一年以前における東海大学学生会活動の経緯はほぼ次のとおりである。すなわち、東海大学は、数多い日本の新興私立大学中でも近年日本大学と共に一、二を争うほどの驚異的な発展を続けている大学である。六、七年前に三、〇〇〇名であつた学生数は、現在一三、〇〇〇名を超え、表面的には日本一とうたわれる武道館や東洋一を誇る噴水などを建設した。

しかしながら、これら学生数や諸設備拡張の陰で学生に対する授業はその大半が三〇〇名ないし一、〇〇〇名を収容する大教室で行なわれるいわゆるマスプロ教育である。他方、大学の管理組織も、全学的な問題を討議する主任教授会または学部長会議を構成する主任教授や学部長の任命は、学内の選挙によらずに大学運営の最高責任者である総長兼理事長によつて独裁的に選任されるという前近代的なものである。

このような大学側の教育不在、営利至上主義に対しては、学生、学生会の間から大学当局への批判や改革を望む声が自然に発生し、抬頭してきた。この活動は、広く学園民主化を目ざし、教職員、学生の通勤通学問題、食堂、学生会館、教室および下宿の確保などまで具体的問題にとり組んできた。そして、昭和四〇年頃からは学生会は原告らを含む大学当局に批判的な者を中心に組織され、例えば課外活動の自主的運営、授業料値上げ反対および学生会館問題など学園民主化闘争を進めた。

(三)  被告の主張(二)項は認める。

(四)  同(三)項1は否認する。権限を濫用して学生の自主活動を妨げ、学生の社会性と民主的人格の涵養を抑圧しようとし、教育的環境と秩序を乱したのは被告そのものである。右にいう「教育的環境を乱す」とは、破廉恥罪を犯し、あるいはその疑惑を受ける行為により学内に道義的頽廃をもたらす行為をいうのである。

(五)1  別紙二(原告鈴木)につき

(1)および(2)のうち、被告主張のビラを同主張の年月日に配布したことは認める。しかし、同日はオリエンテイシヨン期間中であつて、同期間内は東海大学当局の許可なくしてビラ等の配布を認める旨の合意が昭和四一年四月二日のオリエンテイシヨン実行委員会において同学生側実行委員長である原告鈴木と大学代表の田代学生部長との間で成立していた。

(3)の同月一四日田代学生部長が原告鈴木に対し東海大学学生新聞創刊号の配布禁止を申渡したことおよび同原告がこれを配布したことを認め、その余の点を否認する。

(4)(5)については前記(1)(2)と同様である。

(6)について被告主張事実を認める。しかし、これは学外の集会であるし、通常無届、無許可で行なうことを認められている学生会室での委員会をたまたま被告主張の場所で行なつたに過ぎない。なお、学生生活に関する規則一五、一六条の解釈上も合宿について許可を要するのはスポーツ団体または文化団体だけである。

(7)ないし(9)の被告主張の事実は認める。しかし、学生生活に関する規則一五条は学生会活動には適用されないものであり、原告鈴木は正当に解釈し被告主張の措置に出たものである。

(10)の被告主張のビラを同主張の場所で配布した事実は認める。ただし、配布に至つた経緯については争う。同ビラ配布については代々木校舎の許可を得たが、湘南校舎では許可を得なかつた。新聞配布の禁止をめぐつて学校と学生の間で意見が鋭く対立している状況下で学校側の許可は予想されないところであるし、それ故に、代々木、湘南合同代議員会において学生会の広報活動として最重要な新聞の配布を学校当局にたやすく屈服して中止することはできないと決議し、原告鈴木は同決定に従つて配布を指示したまでである。

(11)の被告主張の立看板を掲示した事実は認めるが、代々木校舎では、右(10)のビラについて学校側の許可を受けているので、立看板についても当然認められるものと判断した。

(12)について被告はビラと主張しているが、本文書は委員会討議のため委員に供する資料であつて、いわゆる不特定多数者を対象に配布するビラと異なる。

(13)の被告主張のビラは、討論会場に集つた学生に討論の資料として配付されたパンフレツトである。その余の点は認める。

(14)の被告主張事実は認めるが、無許可で掲示したのは、本立看板掲示の届出をしたところ、学校側より内容が学生らしくないとして返されたが、その内容はアメリカの北ベトナムにおける戦争エスカレーシヨンについての抗議であり、学生らしくないといわれる理由はない。

(15)について被告主張の事実を認め、(16)の主張事実を否認する。

(17)の被告主張のビラを無許可で配布した点は認めるが、学校当局への届出はしたが、返戻されたものである。その内容が虚偽中傷にわたるか否かは不知。

(18)の被告主張事実は否認する。

(19)の被告主張の学生会報は決して廃刊になつていたものではない。これは、合同委員会が昭和三八年まで学生会報の名称で刊行していた新聞がその後代々木、湘南の各単位学生会で発行する二つの新聞に分れ、さらに、その後合同委員会で東海大学学生新聞を刊行するに至り、学生会報および右単位学生会発行の各新聞の三者を一つに総合する形になつたものを昭和四一年四月一日合同委員会の決定により再び学生会報の名称に復したものである。したがつて、過去の学生会報が廃刊になつたものではなく、名称こそ変れ実質的には継続していたもので、名称の変更毎に学校当局の許可を必要とする理由はない。

(20)のうち、「合同代議員会告」という立看板については不知、ビラ配布の無届、無許可は認める。原告鈴木は、被告主張の日時に建学祭実行委員学生側役員の名簿を学生課に提出した。

代々木、湘南両代議員会は、昭和四一年一〇月一三日以降ビラの配布については一切無届、無許可のまま強行することを決定した。これは、学校当局により学生会が学生大衆、学校等に表明すべき意見、報告等が一切無差別的に不許可とされるため、学生会がその機能を果すためにとられた対抗手段である。

(21)の立看板の掲示が無届、無許可であつたことは認める。前回(一〇月一九日)の全学集会において授業妨害の事実はない。同月二二日の集会において、被告主張のヤジをとばし、一般学生を煽動したこと、威圧する目的があつたこと、業務を妨害したことはいずれも否認し、その余の点は認める。

なお、学生等が集会をもつたのは、当時、協助会の経理面において使途不明の金銭抹消等不正行為の噂が学内に拡がつていたことから、出資者であり、かつ消費者である学生が右不正行為の噂につき釈明を求めるため行なわれたものであつて、このような学生の真摯な心情を虞ることなく、不許可集会であるからといつて一方的な処分理由とするのは不当である。

(22)の被告主張の事実は認めるが、(21)と同様これを処分理由に結びつけるいわれはない。

2  別紙三(原告海法)につき

(1)の被告主張のビラを配布した点は認める。学校当局への届出はしたが、許可されなかつた。

(2)の被告主張のビラ配布は認めるが、原告海法の関係する代々木校舎については、学校当局への届出をしてその許可を受けている。

(3)の被告主張事実を認める。しかし、この事実を処分理由とすることは不可解である。

(4)のビラの配布は認める。学校当局への届出はしたが、内容が学生らしくないという理由で許可されなかつた。

(6)の事実がいかなる理由で処分理由となるか不可解である。

(7)ないし(13)の被告主張事実はいずれも認める。しかし、ビラ配布、立看板の掲示が無届、無許可でなされるに至つた経緯と理由は、前記(五)の1(20)において述べたとおりである。

(14)ないし(48)のうち、左記以外の被告主張事実はいずれも認める。

(26)の被告主張のうち、大学と学生代表との第一回話合いに際し、無届、無許可の集会を開き、右話合いを防害したとの点は否認する。同話合いが混乱した原因は、大学側が自分の方で指名する学生代表としか話合いをしないという態度をとつたためである。学生側がこれに抗議し、長時間にわたつて学部長らと話合つたことはある。その余の点は認める。

(31)の被告主張のうち、同月三日「クラス決議で12月6総会へ」というビラを無届、無許可で湘南校舎において配布したとの点は否認する。

(38)につき、虚偽中傷であるとの点、(40)(46)につき、事実無根であるとの点はいずれも争う。

3  別紙四(原告佐藤)につき

(1)ないし(3)の被告主張のビラ配布を認める。ただし、いずれも学校当局へ届出をなしたが、許可されなかつた。

(4)ないし(20)のうち、被告主張のビラ配布、立看板掲示および集会が無届、無許可でなされた点はいずれも認める。しかし、その経緯と理由は、前記(五)の1(20)において述べたとおりである。

(8)ないし(10)(13)(15)のうち、宿泊の事実はいずれも認める。しかし、学生生活に関する規則一六条の学生団体が合宿等を行なう場合には少くとも一週間前に部長教員の承認を受け、所管部長の許可を要する旨の規定は、学生会の幹部が緊急の用務のため学生会室で徹夜することまでも規制する趣旨ではないと解すべきである。

(12)の被告佐藤がマイクを使用して演説をした点は認めるが、同人は午前の授業終了後から午後の授業開始前の時間にしたので、授業妨害になる筈はない。

(14)(15)の被告主張のうち、各集会の開催および同集会において原告佐藤が演説したことはいずれも認める。

(16)の集会が時間を超過したこと、学校側がマイクで解散を呼びかけたことは認めるが、協助会理事橋本が同会の帳簿提出問題につきあいまいな答弁をしたのが時間超過の原因であり、参加学生の決議により集会が続行延長されたものである。

(17)(20)の被告主張のうち、事実無根の個人中傷をしたとの点はいずれも否認する。

(19)の被告主張事実は認めるが、器物損壊は、学生の故意によるものではなく、狭隘な会場に多数の学生が入室したことによる椅子等の若干の損傷で、やむをえなかつた。

(21)ないし(27)(29)ないし(37)(39)ないし(41)(43)ないし(47)(49)(51)(54)(55)の被告主張の事実はいずれも認める。ただし、(22)の「大学の資金源として始めていることであり」と述べていることおよび(41)のビラの内容が事実無根である点ならびに(27)のビラの内容が虚偽中傷にわたる点はいずれも争う。

(28)(46)の被告主張事実はいずれも不知、(38)のうち、被告主張の日に無届、無許可で同主張のビラを配布し、集会を開いたとの点は認めるが、その余の点は否認する。

(42)(50)(52)(53)の被告主張事実はいずれも否認する。

4  別紙五(原告増淵)につき

(1)(3)ないし(7)の被告主張事実はいずれも認める。ただし、(1)のビラ配布は、第二期オリエンテイシヨン期間中のものであり、学校当局への届出、許可は不要の場合であり、(3)ないし(5)の各ビラ配布は、いずれも執行委員会が一般学生に対し執行委員会決議の結果を報告したものであつて、これは執行委員会の当然の責務であつて、無届、無許可であつても処分理由となるべきものではない。

(8)のうち、無届、無許可で被告主張のビラを配布した点は認める。しかし、砂子理事とは一時間半にわたり協助会の帳簿について話合つたが、軟禁や精神的圧迫を加えた事実は否認する。

(9)のうち、無届、無許可で被告主張のビラを配布した点は認めるが、「つかまえろ」と発言して石田監事の退場を阻止したことはなく、ただ残つてくれと頼んだに過ぎない。その余の点は認める。(10)の被告主張のうち、集会の開催は認めるが、その余の点は不知。(11)の被告主張のうち、授業を妨害した点を除き、その余を認める。(12)(13)の被告主張事実はいずれも認めめ、(14)は学生を煽動したとの点を除き、その余を認める。(15)(16)の被告主張のうち、授業妨害の点を除き、その余を認め、(17)全部を認める。

(六)  学費未納者の除籍処分に関する取扱い手続が被告主張のごとく変更されたことは、当時学生には知らされず、原告佐藤には後日知らされた。

被告主張の日に、東海大学総長より右原告に対し復籍不許可通知がなされたことは認めるが、その不許可理由については争う。

第三証拠<省略>

理由

第一  原告らが請求原因(一)項記載のとおり被告の設置する東海大学の学生たる身分を取得したこと、同大学学生生活に関する規則一四条、一六条および一八条、学則三二条による懲戒処分として、昭和四一年一一月五日付をもつて原告鈴木が退学処分に、同海法、同佐藤が各無期停学処分に付され、さらに昭和四二年五月一二日付をもつて原告海法が退学処分に付されたこと、また、授業料などの学費を所定の期日までに納入しなかつたために学則三二条により、原告増淵が昭和四一年一一月一日付をもつて、原告佐藤が昭和四二年一月七日付をもつて、それぞれ除籍されたことは当事者間に争いがない。

第二  本件退学等の処分に至る経過

一  被告の組織

成立に争いのない甲第二号証(乙第七号証)、乙第二、第八、第九号証に証人田代秀徳、同足利惇氏の各証言を総合すると次の事実が認められ、他に同認定を動かしうる証拠はない。

被告は、昭和一七年現理事長松前重義(東海大学総長)によつて、人道主義、人格主義を基本理念としていやしくもこれに反する唯物主義、唯物史観的世界観を排し、新しい科学時代にふさわしい歴史観、人世観、世界観に立脚した信念と方向を確立し、歴史の開拓と文化の創造に寄与しようという使命感に燃える人材の養成を目ざして創設され、その設置する東海大学においては被告主張の前示建学の精神が高調され、そして、これを具体化するものとして「若き日に汝の思想を培え。若き日に汝の体躯を養え。若き日に汝の知能を磨け、若き日に汝の希望を星に繋げ。」との四項目を標謗した。

被告の学園は、その後急速に膨張、拡大し、現在では東海大学(大学院および八学部)のほか短期大学四校、高校一一校および中学校、小学校、幼稚園を設置して、その学生、生徒、児童は数万に及ぶわが国有数の巨大学園となつた。

東海大学における本件処分当時における学生に対する厚生補導組織を図示すると次のとおりである。

図<省略>

二  東海大学学生会

東海大学学生会は、学生が自らの組織を通じて社会人として出立する場合の自治的、自律的精神の涵養を目的とするものであり、全学生を構成員とし、同大学代々木校舎湘南校舎、第二工学部および折戸校舎の各学生をもつて各校舎毎の学生会を組織していること、その最高決議執行機関は合同委員会であり、同委員長は東海大学学生会を代表すること、昭和四〇年から四一年当時原告鈴木が合同委員会委員長であり、原告海法が代々木学生会執行委員長および合同委員会委員、原告佐藤が湘南学生会執行委員および合同委員会委員、原告増淵が湘南学生会執行委員長および合同委員であつたことについてはいずれも当事者間に争いがない。

三  前掲各証拠に成立に争いのない甲第六、七、九号証、証人和頴弘民の証言ならびに原告鈴木、同海法、同佐藤の各本人尋問の結果を総合すると、昭和三八年四月新設された湘南校舎は宏壮を誇る校地校舎ではあつたが、昭和四〇年当時においてもなお通学用交通機関、学生食堂、図書館または学生会館など学生の福利施設の整備が不十分でこれに対する学生の不満が根強く存するのに、昭和四〇年六月頃大学当局が硬式野球部の試合応援のため全学の授業を中止したことや同年九月頃大学側が組織を改正して体育部の独立を意図していることが表面化したことに対し、学生会はこのような大学の態度はスポーツを大学宣伝の具に利用するものであり、予算面でも学生の右要望を無視して体育関係を優遇し、本来課外活動として学生の自主的決定に任されるべき事項にまで大学側が干渉し、学生の自治権を侵害するものであるとして激しく批判したため、同年一二月頃になつて右体育部構想は一応白紙還元されたこと、そしてこれを契機として学費値上げ反対闘争など学内における学生活動が活発となり、ビラ配布、立看板掲示などが頻繁に行なわれるようになつたこと、以上の事実が認められ、他に同認定を動かしうる証拠はない。

第三  原告らは、本件退、停学処分ならびに復籍不許可処分は正当な理由を欠き、権利濫用であると主張するので、この点につき判断する。

一  原告らに対する本件各処分理由として、被告の主張する別紙第二ないし第五記載のうち、以下の各事実は当事者間に争いがない。

(一)  原告鈴木(別紙第二)

(6)ないし(9)の各事実、被告主張の各日時に同主張の場所で(1)(2)のビラを配布したこと、(3)の田代学生部長より東海大学学生新聞創刊号の配布禁止を申し渡されたが、同原告がこれを配布したこと、被告主張の日時、場所において(4)(5)(10)(15)(17)(20)の各ビラを配布し、(11)(14)(15)(21)の各立看板を掲示したこと、そして、前記(1)(2)(4)ないし(6)(8)(9)(11)(13)ないし(15)(17)(20)(21)のビラ配布または立看板の掲示につき大学に対する届出をせず、その許可も受けなかつたこと

(二)  原告海法(別紙第三)

(3)(7)ないし(25)(27)(28)ないし(30)(32)ないし(37)(39)(41)ないし(45)(47)(48)の各事実ならびに被告主張の日時に同主張の場所において(1)(2)(4)(38)(40)(46)のビラを大学に無届でその許可を受けることなく配布し、(26)の立看板を同じく無届、無許可で掲示したこと

(三)  原告佐藤(別紙第四)

(21)(25)ないし(26)(29)ないし(37)(39)(40)(43)ないし(47)(49)(51)(54)(55)の各事実ならびに被告主張日時に同主張の場所で(1)ないし(3)のビラを配布し、また、いずれも大学に無届でその許可を受けることなく、(4)ないし(7)(14)(20)(22)(27)(41)の各ビラを配布し、(11)(14)(17)(18)(27)の各立看板を掲示し、(14)(16)(20)(27)の集会をし、(8)ないし(10)(13)(15)の宿泊をしたこと、(12)(14)(15)の集会においてマイクを使用しながら演説したこと、(16)の集会が被告主張のごとく時間を超過し、(17)の立看板を掲示したこと

(四)  原告増淵(別紙第五)

被告主張の日時に同主張の場所において(1)(3)ないし(7)のビラを配布し、(8)(9)(17)のビラを大学に無届でその許可を受けることなく配布し、同じく無届、無許可で(10)(11)(15)(16)の集会をしたこと

二  前示乙第二号証、成立に争いのない乙第三ないし第五号証、第一〇号証の一、二、第一一号証、第一二号証の一ないし三、第一三号証の二、第一五号証の一、二、第二六号証(ただし、アンダーライン部分を除く。)第三一号証(右同)、第三三号証(右同)、第三六ないし第三八号証、第四一、第四四号証、第五四ないし第五六号証、第五八号証、証人田代秀徳の証言によつて成立を認めうる乙第一三号証の一に右証人田代、同岩崎昭夫(第一、二回)、同足利惇氏、同木村登、同和頴弘民の各証言ならびに原告鈴木、同海法、同佐藤の各本人尋問の結果を総合すると次の事実が認められ、同認定に反する証人和頴弘民の証言、原告鈴木、同海法の各本人尋問の結果は措信できないし、右認定を動かしうる証拠はない。

(一)  東海大学学生生活に関する規則によれば、学生が通常の集会をしようとするときは、その前日までに所定の事項を記載した集会願を学生課(学務課)に提出し、所管部長の許可を受けること、集会場所については予め所管課長の承認を得ておかなければならないこと(一六条)、学生が掲示をしようとするときは、責任者名を明記した掲示と共に掲示内容の写を添え学生課(学務課)に提出し、所管部長の許可を受けること、掲示の内容は国の法律政令に反することはもちろん、学内秩序を乱し、もしくは虚偽中傷にわたり、または学生としての品位を保持しえないものであつてはならないこと(一七条)、また、学生が印刷物を配布し、放送をしようとするときは、学生課(学務課)を経て所管部長の許可を受けること、印刷物、放送の内容については一七条に準ずる(一八条)と定められ、右に所管課長とは学生課長または学務課長が、所管部長とは学生部長がこれに当るのである。

(二)  オリエンテイシヨン関係

1 原告鈴木は、当時東海大学学生会合同委員会およびオリエンテイシヨン学生実行委員会の各委員長の地位にあつたが、昭和四一年度のオリエンテイシヨン(新入生受入行事)の期間中である同年四月一一、一七、一九日に別紙二の(1)(2)(4)(5)記載のビラをそれぞれ配布した。もともと、オリエンテイシヨンは、新入生受入れの行事として大学側と学生会が協力し、双方より各実行委員を選出して多彩な行事を企画遂行するものでその期間は第一期が四月一六日から一九日まで、第二期が同年五月一八日、一九日であり、学生実行委員会の企画については、そのビラ、ポスターなどの配布を同委員会に一任することが同年四月二日に開催された大学、学生合同実行委員会の席上確認された。

2 右学生会合同委員会は、学生会が従来オリエンテイシヨン新聞として発行していた新聞を改めて全学的規模の東海大学学生新聞として発行することを決定し、その創刊号を同年四月一五日の入学式当日新入生に配布することにし、その旨を原告鈴木より同月二日過ぎ頃田代学生部長に口頭で伝えた。同学生部長は、その際鈴木に対し右創刊号の現物を添えて発行許可の願出をするよう注意を与えたが、学生会合同委員会からは単に紙名変更届を学生課に提出したのみで、入学式前日になつても右許可願が提出されないのみならず、内容的にも東海大学における現運営体制は「単的な言葉で表現すれば非民主的であるという一語につきる。」(「合同委員会」の欄)、「そして、体育部体育課、授業料問題と一連の反民主的攻撃をしてきた。……しかし我々は、それら諸々の反民主的攻撃に対し、だんこ戦つてきたし、またこれからも戦つて行くだろう。」(「学園生活を我々の手で」の欄)という記事にみられるごとく、同大学の運営が非民主的であり、大学当局と学生が対立抗争関係にあるように吹聴して建学の精神を蹂躪し、学則を無視するおそれがあるものと認められたため、田代学生部長は教務部長および総長らと協議のうえ、右新聞は入学式当日新入生に対して配布する(ひいてはその父兄の目にもはいる。)ものとしては不適当であると判断し、同学生部長より前記新聞(創刊号)の配布禁止を申渡した。それにも拘わらず、原告鈴木は同月一六日右創刊号を被告主張の場所で新入生らに配布したので、大学当局はその不当を責め、原告鈴木よりこれを陳謝する趣旨の始末書を徴した。

(三)  ビラ配布等の無届、無許可

ビラの配布、立看板の掲示等に対する大学当局の許可基準としては、学生生活に関する規則に、印刷物や掲示の内容は国の法令に違反するものあるいは学内秩序を乱し、もしくは虚偽中傷にわたり、または学生の品位を保持しえないようなものでないこととされている(一七、一八条)が、具体的には、事実に反する内容のもの、大学としての環境を破壊したり、学問の場としての条件を乱すようなもの、政治的色彩の強いもの、または建学の精神を否定するような思想を表明するものは不許可とされた。例えば次のごときものがある。

1 ビラの配布や掲示では、米国原子力潜水艦の横須賀寄港反対(被告主張別紙三の(4)、四の(2)・乙第三六・第四一号証)米国のハノイ、ハイフオン爆撃に対する抗議声明文(別紙三の(5)・乙第三七号証)、東海大学学生新聞の発行禁止と我々の見解(別紙二の(5)、四の(1)・乙第二六号証)および湘南執行委員会通報・検閲ならびに検印制度即時廃止の決議(別紙五の(3)、乙第五五号証)などである。

2 集会については、学生生活に関する規則一六条により一週間前に届出て学生部長の許可を受けなければならないと定められているところ、学生会が企画した昭和四一年六月七日の芝田進午の「私大経営と大学の自治」を主題とする講演会(別紙二の(13)、四の(3))については、原告鈴木らより三日前にその届出がなされたので、手続的に不許可となり、一旦延期して再度申請されたが、実質的にも右芝田が過去に発表した記述や講演の内容に東海大学の建学の精神に合致しない点が多分に認められたので、前記講演会は不許可とされた。

そして、その頃から学生会合同委員会が主張する学内外の諸問題に関し、無届、無許可のビラ配付および立看板掲示等の回数が多くなり、同年七月一日遂に湘南代議員会は大学当局によるビラ配布、掲示等に関する検閲、検印の即時撤廃要求を決議して、以後学生生活に関する規則および学則を無視して一切無届、無許可でこれを行なうことを決定し、代々木代議員会も同年一〇月一三日これに追随して同旨の決議をした。

(四)  虚偽中傷の文書

被告が特に内容的に問題があるとして指摘している同主張の三の(三)2(ア)ないし(コ)につき、次の事実が認められる。

1 原告鈴木が昭和四一年一〇月一二日無届、無許可で配布した東海大学学生会報(別紙二の(19)・乙第四号証)第三頁は、「憲法に優先する建学の精神」との見出しのもとに「相次ぐ言論統制」として、大学側によるオリエンテイシヨン新聞の配布禁止以来の新聞・ビラ配布、掲示、集会等の禁止を言論の自由に対する圧迫であるととり、東海大学全体が一部支配者によつて暴力的に支配されている、松前総長を神格化し、建学の精神に置き換え全てをそこへ集中させるとし、「建学の精神を打破することは当然のことであり任務でもある。非常に困難をともなうかもしれないが一歩もひけない問題である。」と断言している。

2 同原告が無届、無許可で配布した別紙二の(17)のビラ(乙第三一号証)は、「応援団暴力事件に関して責任を回避する大学当局」という見出しのもとに、昭和四一年八月一四日赤城山合宿中に生じた東海大学応援団の暴力事件に関し、合同委員会の見解として大学側の措置を次のように非難している。すなわち、右合宿には初めから代々木学生課員白石氏と応援団OB一名が参加していたが、暴力を振つた団員に反省の機会を与えるよう指導するのではなく、裏工作に狂奔し、この暴力事件が表沙汰になるのを極力防ぎ示談でヤミにほうむり去つたと述べ、「暴力を否定せず逆に助長させる指導(?)しか行なえぬ学生課」、「大学と応援団のなれ合いの結果の暴力事件」などと記載されている。

しかしながら、右記述は少くとも大学側の事後措置については事実を歪曲するものであつて、大学当局が事件のもみ消しのため奔走したというより、むしろ自己の学生が犯した過失につき、被害者ならびに関係方面に陳謝してまわつたものであり、この事件自体は起訴猶予処分となつたが、大学側は暴力を振つた本人に対しては無期停学九名、戒告一名の処分をなし、応援団に対し無期活動停止処分にした。そして、同処分が全員につき解除されたのは約半年後の翌年三月頃である(この点乙第四号証が九月一二日全員処分解除をしたと報じているのは誤りである。)。

3 原告海法が昭和四一年一〇月一八日無届、無許可で配布した別紙三の(8)のビラ(乙第三八号証)は、「当局の『学費値上げ』の回答に対する代々木執行委員会の反論」と題し、「貴方々は、常に自分達(即ち極少数者)が全く非民主的な学園運営をしていると言う事実を知られまいと苦心して居る。」、「貴方々は、『東海大学』と言う抽象的な名前の陰に隠れ、決して責任所在のはつきりした文書を出そうとしない。牧野不二雄、岩崎昭雄、野田茂、石田正次諸氏が書いても皆『東海大学』である。それは、そのまま貴方々が自分達に非難の集中する事を恐れている事を示している。その事は、貴方々が恐れなければならない『何か』を行つている事を逆説的に示しているのではないのか」と記述しているが、右四名が学生らから非難を受けるようなことを行なつた事実は何ら認められない。

4 東海大学には同大学協助会が設けられているが、その会員は被告の設置する学校の学生、生徒および教職員であり、同会の目的は、会員の福利厚生を計るため会員の生活に有利な協同施設の設置運営、各種書籍、学習用品その他生活物資の供給ならびに利便の提供、食事嗜好品の供給その他の事業を行なうものとされ、役員として会長一名、理事二二名、監事四名(いずれも学生、教職員が各半数)を置き、会費は学生、生徒二〇〇円、教職員三〇〇円を入学時または就職時に納入し、事業年度は毎年二月一日から翌年一月末日までとし、理事長は毎年四月三〇日までに前年度の決算書類を作成し、監事の意見書を添付して理事会の承認を求め、これを公告するものと定められている(同会則三三条)。

ところが、理事会に対する右決算書類の提出は例年ともかなり遅延し、昭和三九年度分も昭和四〇年七月一四日頃であつたが、昭和四〇年度分も昭和四一年七月四日に提出された。学生らは、協助会の経理に不正事実があると騒ぎ、砂子、橋本両理事が同会を私物化しているなどと盛んにビラや立看板に書きたて、被告主張の別紙二の(20)、同四の(14)(乙第三三号証)、同四の(7)、同五の(6)(乙第四四号証)、同五の(1)(乙第五四号証)、同(4)(乙第五六号証)、同(7)(乙第五八号証)にもほぼ被告主張のような記述がなされている。そして、学生らは協助会の経理関係帳簿の引渡しを受けてこれを調査し、大学側も監事を中心に慎重審査しさらに公認会計士の検査も受けたが、帳簿処理上二重記帳など若干不備な点が発見されたけれども不正な点は何もないことが確認された。

(五)  本件退、停学処分

東海大学当局は、原告らの前記行動に対し再三に亘り文書による警告や学生課長または主任教授らを通じて個人的に説得をして、とにかくルールはルールとしてこれを守り、本学学生としての本分に反しないよう、いやしくも学則に反して学内秩序を乱すことのないように反省を求めたけれども、原告らはかえつて学則は大学の一方的なおしつけであると断じ、将来も前記のような諸規則違反の行為を中止する意思はないものと認められたので、同大学総長は他戒の意味も含めて断固処分することとし、関係教授会の議を経たうえ原告各人の右行動に対する指導力ないしは関与の程度を斟酌し、殊に合同委員会委員長たる原告鈴木は先に前認定の始末書を差出していながらその趣旨を守らなかつた点を重視して、昭和四一年一一月五日付をもつて原告鈴木を退学処分に、その補助的立場にあつた原告海法、同佐藤を各無期停学処分にした。ただ右処分理由としては、原告鈴木、同海法に対しては同人らが自分自身で実行したもののほか、学生会合同委員長または同委員としての立場にある以上、その統轄下にある他学生の規則違反行為についても責任を免れないものとして問責されたのに対し、原告佐藤の場合は主として同人自身の行為について責任を問われたものである。

そして、原告海法は、特に右無期停学処分後その趣旨に従つて自宅謹慎をしておるべきにも拘わらず、原告鈴木が退学処分をうけて後は同人に代つて合同委員会の代表者として行動し、毎日のように登校しては他の原告らと共に積極的に前記規則違反行為を反覆し、大学側の中止の勧告にも耳を藉さない有様であつたので、同大学総長は所定の手続に従つて同原告を昭和四二年五月一二日付をもつて退学処分にした。

三  請求原因(四)項の事実ならびに学則三二条、学生生活に関する規則二四条の規定内容および原告増淵、同佐藤がそれぞれの主張日時に復籍願を東海大学に提出したが同大学はこれを不許可としたことはいずれも当事者間に争いがない。

前示乙第二号証、成立に争いのない乙第一六ないし一九号証に証人岩崎昭夫(第一回)、同石田正次の各証言を総合すると、学則第三二条には、授業料その他の学費を所定の期日までに納入しない者は除籍することがあると定められ、学生生活に関する規則によれば、学費の納入は前後二期に分けられ、前期分を四月二五日後期分を九月二五日までに納入すること(二三条)学費を所定の期日までに完納しないものは除籍される(二四条)が、やむをえない事情により学費の納入ができないときは納入期日前に所定の手続により延納願を提出することにより二か月以内に限りその延納が認められること(二五条)、除籍されたものが除籍の日より三か月以内に復籍願を提出した場合は、教授会の議を経て復籍を許可することがあること(二四条)などが規定され、その復籍の許可基準として、一応平常の学業成績および授業への出席状態が良好であり、過去に学費怠納などの前歴がなく真面目な学生生活を送つているものとされていること、原告増淵、同佐藤はいずれも昭和四一年度後期分の授業料をその納入期日である同年九月二五日を経過しても納入しなかつた(大学当局より八月中に既に各保証人宛に学費納入通知書が発送されている。)ので、東海大学は原告増淵につき同年一〇月三一日付で除籍し、その旨を同人に通知したが、原告佐藤については同人より延納願が提出されたので二か月間の延納を認めたものの、その期限である同年一一月二五日を過ぎても完納しなかつたので、昭和四二年一月七日付で除籍し、その旨を同人に通知したこと、その後、原告増淵からは昭和四一年一一月七日付で、同佐藤からは昭和四二年三月一六日付でそれぞれ復籍願が提出されたが、大学当局は、右両名には前記認定のような規則違反行為があり、授業の出席状態も悪く、さらに原告佐藤には過去にも学費納入を遅滞したことがあつたなどの理由から右復籍はいずれも許可しなかつたこと、以上の事実が認められ、他に同認定を動かしうる証拠はない。

四  当裁判所の判断

(一)  大学は、国公立大学であると私立大学であるとを問わず、その施設を管理運営し教育を実施するため学則その他の内部規律を制定することができ、学校教育法二条、同法施行規則一三条により学校長は学内の紀律を維持し教育目的を達成するため学生生徒に対する懲戒権を付与されているのである。そして、私立大学は独自の校風と教育方針とを実践することにより社会にその存在価値を認められる傾向にあるものであるから、学則その他の内部規律を定めるにも創立以来の建学の精神がその指導理念となり、これを具現化するよう配慮されるのが一般である。したがつて、本件の東海大学のように建学の精神および伝統的教育方針がたとえ唯物史観的思想を好ましくないものとして排斥する傾向のものであつてもそれ自体一応自由であり、この点国公立学校とその趣を異にするのである。

反面、私立大学に入学した学生にとつては、入学許可によつて当該大学との間に私法上のいわば在学契約ともいうべき法律関係にはいるのであつて、それは大学に包括的に自己の教育を託するのであり、学生は入学によつて大学所定の学則その他の規則を遵守することを承諾したものとみることができる。

もとより、懲戒権は本来教育目的と学内の教育的環境を保持するため肯認されるものであり、殊に退学処分は当該学生の規則違反行為が重大で著しく学生の本分に反し、もはや同人に教育的改善の余地がなく、学内の教育的環境を維持するためには同人を学外追放するのもやむをえないと認められる場合に限定される最後的処分でなくてはならないのである。

(二)  原告鈴木、同海法、同佐藤の本件各行為は、前記認定のものだけを取り上げてみても、同認定のごとく東海大学の建学の精神を否定し、学則および学生生活に関する規則を無視して大学当局の文書または主任教授らによる警告や説得にも耳を藉さず、その違反行為を反覆継続したものである。のみならず、虚偽、中傷に亘る文書を配布、掲示して大学またはその職員を誹謗した。

原告らがそこで主張する学内外の問題のうち、米原子力潜水艦横須賀寄港ならびに米軍の北ベトナムハノイ・ハイフオン地区爆撃に対する反対活動は極めて国際的、政治的色彩の強い問題であつて、学校当局自体が適切な解決方法を有するものでもないから、この種問題を学内に持込んで一般学生などを対象にして行なう反対闘争に対しては、それによつて学園の秩序が乱され、平穏な教育的環境が害され、あるいは害されるおそれのある限りにおいて合理的範囲内で大学当局がこれを規制することは許されるものというべきである。また学内の問題にしても、オリエンテイシヨンにおける学生会新聞の配布禁止、協助会などの問題は、いずれもその真相は前記認定のとおりであつて、原告らは十分な調査もせず、ことさらこれを取上げて騒ぎたてた感じが強いのである。したがつて、大学当局による前記認定のごときビラ配布、立看板掲示、集会および宿泊などに対する不許可措置は必ずしも不当とはいえない。

果してそうであるならば、大学側による右の不許可を一方的な故なき規制であるとして、学生会の湘南代議員会が昭和四一年七月一日、代々木代議員が同年一〇月一三日に以後の印刷物配布等につき一切大学当局に無届無許可で決行することを決議したのは暴挙の誹を免れえない。

(三)  原告佐藤に対する本件懲戒処分は、主として同人自身が行なつた前記認定の各規則違反行為についての責任を問うものであるが、原告鈴木、同海法については同人ら自身の行為によるもののほかに学生会合同委員会委員長ないしは委員として他の学生による違反行為についても大学当局より問責されている。この点につき、当裁判所も右両名がともかく学生会最高の執行決議機関たる合同委員会の委員長または委員として前記認定の違反行為を含む学生活動全般に亘り、単に立案、企画したに止まらず、これを大学当局に対する闘争手段として決定し、その統轄下にある一般会員の学生を対象にその実行を指令し、遂行せしめたものであるから、原告鈴木、同海法が前記認定の各違反行為のうち、自身によるもの以外についても大学当局よりその責任を追及されても仕方がないものと考える。

(四)  叙上のところを総合考察すると、その余の点についてふれるまでもなく、東海大学総長による昭和四一年一一月五日付の原告鈴木に対する退学処分、同海法、同佐藤に対する無期停学処分および原告海法に対する昭和四二年五月一二日付の退学処分は、その規則違反の程度、態様ならびに他の学生に対する影響力などに照し、いずれも相当であるといわざるをえない。

(五)  原告増淵、同佐藤に対する本件除籍ならびに復籍不許可の処分の経緯は、前記認定のとおりであつて、学生生活に関する規則二四条の明文上も「除籍の日より三か月以内に復籍願を提出した場合は、教授会の議を経て復籍を許可することがある。」と規定されているのであるから、所定の復籍願を提出すれば当然に復籍を許可されるものとは解し難く、大学当局による実務上の取扱いも復籍許可の基準として、学業成績および授業への出席状況が良好であること、過去に学費の滞納などの事績がないことなどとされていたことに照しても、右両名の場合復籍を許可すべき事情が認められないので、被告がこれを不許可にしたことが不当であるとか裁量権の濫用であるという原告らの主張は理由がない。

第四  以上の次第で原告らの本訴請求はいずれも理由がないこと明らかであるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高津環 牧山市治 上田豊三)

別紙一

学生生活に関する規則

第二章 課外活動

(目的)

第一四条 課外活動は正課授業と平行して設けられている一般教育における人格形成のための集団活動である。本学においては課外活動を行なう組織を学生会と称し、学生は入学と同時に学生会会員となる。

学生会は全学生を組織運営する自主活動と、有志相集まつて行なうサークル活動の二分野を含み、いずれも集団の民主的運営ならびに、各成員の社会性と民主的人格を涵養することを目標とする。自主活動は学生の民主的自律精神を涵養することを目的とするものであつて、決して放縦を容認するものではない。

学生は課外活動の教育的意義をよく認識し、健全な活動を展開し、いやしくもその精神から逸脱し、または学内秩序を乱すような活動をしてはならない。

(集会・行事)

第一六条 学生が通常の集会をしようとする時はその前日までに集会の名称・目的・時期・場所・人員・責任者等を明記した集会願を学生課(学務課)に提出し所管部長の許可を受けなければならない。集会場所については予め所管課長の承認を得ておかなければならない。各サークルが登校時間中に部屋等で通常の活動をする場合はこの限りでない。ただし下校時間を過ぎる場合はその承認を受けなければならない。

学生団体が合宿・音楽会・講演会・演劇・映画会・旅行・ハイキング・運動練習・対外試合等その他特別な行事を行なおうとする時は少くとも一週間前に部長教員の承認を受け、学生課長(学務課長)を経て、その計画書を所管部長に提出しその許可を得なければならない。

これらの行事を他の学校と行なおうとする時もまたこれに準ずる。

(印刷物配布・放送)

第一八条 学生が印刷物を配布しようとする時は学生課(学務課)を経て所管部長の許可を受けなければならない。ただし定期的に刊行されているもの、あらかじめその性質が判明しているものについては願出によつて特別扱いを受けることができる。

学生が放送を行なおうとする場合もまたこれに準ずる。印刷物および放送の内容については第一七条に準ずる。(第一七条第二項 掲示の内容は国の法律、政令に反することはもちろん、学内秩序を乱し、もしくは虚偽中傷にわたり、または学生としての品位を保持し得ないものであつてはならない。)

第三章 学費納入

(除籍・復籍)

第二四条 学費を所定の期日まで完納しないものは教授会の議を経て決済を得た日付を以て除籍される。

前項により除籍されたものが除籍の日より三カ月以内に復籍願を提出した場合は、教授会の議を経て、復籍を許可することがある。復籍を許可されたものは、直ちに復籍費五、〇〇〇円と共に未納学費を完納しなければならない。

学則

第一〇章 学費

第三二条 授業料その他の学費を所定の期日までに納入しない者は除籍することがある。

第一一章 賞罰

第三三条 学則および学生諸規則に違反し、学生の本分に反する者に対しては教授会の議を経て、総長はこれを懲戒する。

懲戒は戒告、停学、退学の三種とする。

次の各項の一つに該当する者に対しては退学を命ずる。

(イ) 性行不良で改善の見込みがないと認められた者

(ロ) 学力劣等で成業の見込みがないと認められた者

(ハ) 正当な理由がなくて出席が常でない者

(ニ) 大学の秩序を乱しその他学生としての本文に反した者

別紙二 (原告鈴木)

(1) 昭和四一年四月一一日、「三、四年生は二年生と連絡をとろう!! そして積極的に参加しよう」というビラを無届、無許可で、湘南校舎一号館入口付近において配布した。

(2) 同日、「各専攻各クラスの代表者は集合せよ」(正午よりA―一六教室)というビラを無届、無許可で右同所において配布した。

(3) 同月一三日、岩崎湘南学生課長より原告鈴木に対し東海大学学生新聞創刊号を添えて配布許可願を提出するよう伝えたところ、同人はそのようにする旨答えたが提出しなかつた。同月一四日、田代学生部長より原告鈴木(オリエンテイシヨン学生実行委員長)に対し右創刊号の配布禁止を申渡した。しかるに、同月一六日、同原告自ら先頭にたつて右創刊号を湘南校舎二号館大ホール付近で強行配布した。

(4) 同月一七日、「いつたい誰なのか?」というビラを無届、無許可で右校舎一号館入口付近において配布した。

(5) 同月一九日、「理由のない発禁処分―大学当局の不当な言論弾圧」というビラを無届、無許可で湘南校舎一号館入口付近および代々木校舎四号館入口付近において配布した。

(6) 同月二三日、無届、無許可で合同委員会新富会館において合宿した。

(7) 同月二五日、大学当局より合同委員会名簿の提出を原告鈴木に求めたが、同人は提出の必要および義務なしとしてこれを拒否し、かつ、代々木学生会および湘南学生会に対し右名簿提出の拒否を指示し、再三の提出要求にも応じなかつた。

(8) 同月二七日、「東海大学学生新聞の発行禁止と我々の見解」というビラを無届、無許可で湘南校舎一号館入口付近において配布した。

(9) 同年五月二日、無届、無許可でオリエンテイシヨン研究集会を代々木校舎四号館五階教室において行なつた。

(10) 同月九日、新聞配布禁止に関する「公開質問」なるビラを大学側より配布許可を得たと称して代々木校舎および湘南校舎に配布を指示して、湘南校舎一号館入口付近ならびに代々木校舎四号館入口付近で配布させた。

(11) 同月一〇日、公開質問の立看板を無届、無許可で湘南校舎第二食堂横および代々木校舎無限の庭(四号館と二号館の中庭)に掲示した。

(12) 同月一七日、「資料 四月よりの学生会活動と大学当局の態度(事実経過報告)」というビラを無届、無許可で配布した。

(13) 同年六月七日、「本日教育問題討論会A四三教室PM四・三〇より」、「講演会本日A43PM四・三〇より私大経営と大学の自治 講師芝田進午」というビラを無届、無許可で湘南校舎一号館入口付近において配布した。

(14) 同年七月一日、同年六月三〇日の合同代議員会の決議文掲示の立看板を無届、無許可で代々木校舎無限の庭に掲示した。

(15) 同月四日、無届、無許可で成績証明書再発行に関する質問状のビラを湘南校舎一号館入口付近において配布し、同旨の立看板を同校舎一号館ロビーに掲示した。

(16) 同月五日、協助会刷新委員会報告のビラを無届、無許可で右校舎一号館入口付近において配布した。

(17) 同年九月七日、「応援団暴力事件に関して責任を回避する大学当局」というビラを無届、無許可で代々木校舎四号館入口付近において配布した。同月八日、右ビラには虚偽中傷にわたるものがあるので、木村登学生課長補佐が原告鈴木を呼び出し注意をしたが、同人は見解の相違だとし、その他文書の掲示、名簿の提出等についても何ら規則を守る意思はなく、ただ学生の自治を一方的に主張するのみであり、その後の呼出しにも応じなかつた。

(18) 同年一〇月三日、「どうする東海大協助会はこんなにひどいんだぞ」というビラを無届、無許可で湘南校舎一号館入口付近において配布した。

(19) 同月一二日、昭和三八年六月一五日で廃刊になつていた学生会報を無届で復刊し、代々木および湘南各校舎に指示して湘南校舎一号館ロビー付近ならびに代々木校舎四号館内において配布させた。

(20) 同月一七日、建学祭実行委員長であつた原告鈴木に同実行委員学生側役員の名簿を提出するよう求めたが、同人は提出済みと称して学生部職員の忠告も聞かず一方的主張のみ述べて応じなかつた。そして、「合同代議員会告」という立看板を無届、無許可で代々木校舎無限の庭において掲示し、「十月一九日昼休み協助会帳簿提出要求の全学集会」というビラを無届、無許可で配布したので、右ビラの配布につき原告佐藤に対し届出、許可を受けるよう注意したが、同人は「我々の方針通りやる、委員長がやれといつたことならやる。」と答えた。(なお、同月一八日朝学生課窓口に前記建学祭実行委員学生側役員名簿が置いてあつた。)

(21) 同月二二日、「協助会刷新に関する声明」という立看板を無届、無許可で湘南校舎第二食堂横において掲示した。

同日、前回の全学集会を許可したところ、授業妨害をしたため本館前での集会を不許可として、場所を変更するよう通知したが、これに応じないで本館前において強行し、さらに午後三回にわたる無届、無許可の集会を開き、田代協助会理事長の発言に対し「事大主義者理事長お前の責任だぞ」等の無責任なヤジをとばし、一般学生を煽動した。また、協助会の狭い販売所内に約三〇名の学生を引入れ、砂子理事および橋本販売主任に対し、集団にて威圧する目的で集会し、数時間にわたり右両名の業務を妨害した。

(22) 同月一九日の協助会理事会で、原告鈴木から会計監査を同月二二日午後三時より湘南学生相談室において行なう旨指定したにもかかわらず、当日の指定を破棄して学生数十名を相談室に導入し、秩序を乱してその実施を不能ならしめた。

(以上)

別紙三 (原告海法)

(1) 昭和四一年四月一六日、「理由のない発禁処分―大学当局の不当な言論弾圧」というビラを無届、無許可で湘南校舎二号館入口付近において配布した。

(2) 同年五月九日、新聞配布禁止に関する「公開質問」というビラを無届、無許可で湘南校舎一号館入口付近および代々木校舎四号館入口付近において配布した。

(3) 同月二八日、大学当局より原告海法に対し執行委員名簿の提出を求めたが、その必要および義務がないとしてこれに応じなかつた。

(4) 同月三〇日、「米国原潜スヌーク号今日横須賀港へ入港―原潜寄港絶対反対」というビラを無届、無許可で湘南校舎一号館入口付近および代々木校舎無限の庭付近において配布した。

(5) 同年六月二九日、無届、無許可で「アメリカのハノイハイフオン爆撃に対する抗議声明文」というビラを湘南校舎一号館ロビーにおいて配布し、同記載の立看板を代々木校舎無限の庭において掲示した。

(6) 同年七月四日、ビラ配布、掲示等の許可願をするよう注意されたところ、同月五日学生課よりビラ配布、掲示、合宿届、その他の許可願用紙を持去つた。

(7) 同年一〇月一四日、「検問、検印撤廃」という代議員会の決議文を無届、無許可で湘南校舎第二食堂横および代々木校舎四号館入口付近において配布した。

(8) 同月一八日、無届、無許可で、「声明、当局の『学費値上げ』の回答に対する代々木執行委員会の反論『東海大学』殿」というビラを代々木校舎四号館入口付近において配布し、また、同記載の立看板を右校舎無限の庭において掲示した。

(9) 同月二一日、「代々木代議員会二五日開催」の掲示および「代議員会決定『米のベトナム侵略戦争反対』日比谷野音に結集せよ、一〇・二一反戦ストを支援せよ」というビラを無届、無許可で代々木校舎四号館入口付近および同校舎学生課ドアその他において配布した。

(10) 同月二二日、「今日湘南学生会学生大会を決行、協助会を刷新しよう」というビラを無届、無許可で代々木校舎四号館入口付近において配布した。

(11) 同月二四日、「臨時代議員会協会問題斗争支援」という立看板を無届、無許可で右校舎無限の庭に掲示した。

(12) 同月二七日、「臨時代議員会アピール『武道館落成式参加拒否』」という立看板および「非民主的な田代理事長に対する抗議声明」という立看板を無届、無許可で右同所に掲示した。

(13) 同月二八日、「田代協助会理事長の緊急告示への反論」という立看板を無届、無許可で右同所に掲示した。

(14) 同年一一月七日、「大学当局のいわゆる処分に応える声明」および「協助会を刷新しよう」という立看板を右同所に掲示した。

(15) 同月八日、「不当処分撤回と協助会刷新を勝ち取ろう」というビラを代々木校舎内において無届、無許可で配布した。

(16) 同月一〇日、「親愛なる学生諸君」というビラを無届、無許可で右同校舎において配布した。

(17) 同月一一日、「この領収書、旅費、交通費を承認できるか」という立看板を無届、無許可で右同校舎無限の庭に掲示した。

(18) 同月一五日、「事実を歪曲し陰蔽する協助会報告とわれわれ学生の反論」というビラを無届、無許可で右同校舎内において配布した。しかも、その中で「大学当局が協助会に対しかなり高額な借金をしている事実がある。この事は明らかに大学当局が協助会の機構と資金を若干ながら使用していることが判明する」と述べているが、これは全く事実無根である。

同日、「二先輩の寄せられた支援文」をのせた立看板を無届、無許可で同校舎無限の庭に掲示した。

(19) 同月一七日、「体育会声明に対する反論」、「代議員会に積極的出席を」および「不当処分の本質を考えよ」という趣旨の三種類の立看板を無届、無許可で右校舎無限の庭において掲示した。

(20) 同月一八日、「学友諸君―工学部教授、助教授、講師団有志」というビラを無届、無許可で右校舎内において配布した。また、同日、「署名運動に参加しよう」という趣旨の立看板を同校舎無限の庭に無届、無許可で掲示した。

(21) 同月一九日、「不当処分撤回のクラス討論をしよう」、「親愛なる学生諸君云々」というビラを無届、無許可で右校舎内において配布した。

(22) 同月二一日、「我々学生は要求する」というビラを無届、無許可で右校舎内において配布した。また、同日「代々木代議員会決議文」という立看板を同校舎無限の庭に無届、無許可で掲示した。

(23) 同月二二日、「我々の意志を署名、クラス決議で表明しよう」というビラを右校舎内において無届、無許可で配布した。また、同日、「親愛なる学生諸君―工学部教授、助教授、講師団有志」という立看板を無届、無許可で同校舎無限の庭に掲示した。

(24) 同月二四日、「不当処分を撤回させる為に全学公開討論会を要求しよう」というビラを右校舎内において無届、無許可で配布した。

(25) 同月二五日、「大学当局は11、24田代学生部長発言を撤回し、11、30全学公開討論に応ぜよ」および「大学当局が工学部『教授会』を圧迫した結果についての我々学生の意見」というビラを無届、無許可で右校舎内において配布した。

(26) 同月二八日、「処分撤回を要求する集会へ」という趣旨の立看板を無届、無許可で右校舎無限の庭に掲示した。また、同日、処分問題等に関する学部長代表等による大学と学生代表との第一回の話合いに際し、無届、無許可の集会を開き、右話合いを妨害しし、同日午後四時頃から同一〇時三〇分頃まで学部長らを軟禁した。

(27) 同月二九日、「学生自治全面否定する大学当局」というビラを無届、無許可で右校舎内において配布した。また、同日、「誠意をみせぬ大学当局」という立看板を同校舎内において無届、無許可で掲示した。

(28) 同月三〇日、「話し合い(公開討論)を拒否した大学当局」というビラを無届、無許可で右校舎内において配布した。

(29) 同年一二月一日、「12月2日の学生討論会に参加しよう」という趣旨のビラを無届、無許可で右校舎内において配布した。また、同日、「全学生の前に謝罪文を提示せよ」という立看板を無届、無許可で同校舎無限の庭に掲示した。

(30) 同月二日、「大学当局との話合いに対する我々学生の見解」という立看板を右校舎無限の庭に掲示した。

(31) 同月三日、「クラス決議で12、6総会へ」というビラを無届、無許可で湘南校舎において配布した。また、同日、「再度よせられた工学部教授、助教授、講師団有志からの支援文」をのせた立看板を無届、無許可で同校舎無限の庭に掲示した。

(32) 同月五日、「再度我々によせられた工学部教授、助教授、講師団有志による支援文」というビラを無届、無許可で右校舎内において配布した。

(33) 同月六日、「朝陽ケ丘学園合併を弾劾する」という立看板を無届、無許可で右校舎無限の庭に掲示した。

(34) 同月七日、「不当処分撤回のためにハンストにはいつた湘南学生へよせられた支援文」をのせた立看板を無届、無許可で掲示した。

(35) 同月八日、「本学は最高学府と言えるか」というビラを無届、無許可で右校舎内において配布した。

(36) 同月九日、「12、5の学部長見解」という立看板を無届、無許可で右校舎無限の庭に掲示した。

(37) 同月一二日、「教職員有志(春をつげる声)の支援文」をのせた立看板を右校舎無限の庭に無届、無許可で掲示した。

(38) 同月一三日、「不当処分を即時撤回させ学問の自由を守ろう」というビラを無届、無許可で代々木校舎内において配布した。しかも、その中で「一方では『真理』を云々し、一方では『人道主義』を振りまわしながら悪を肥やし、不当な憲法蹂りんの思想による差別を臆面も無く行なう二重人格者が独裁者と一部追随者の姿である」と述べているが、これは虚偽中傷である。

(39) 同月一四日、「講演会と討議―畑田重夫」というビラを無届、無許可で右校舎内において配布した。

(40) 同月一五日、「大学当局は孤立化しつつある」というビラを右校舎内において無届、無許可で配布した。しかも、その中で「学生自治を全面否定する大学当局と一握りの追随者の存在」と述べているが、これは全くの事実無根である。また、同日、「学友諸君、全ての誤りは当局による学園の私物化にある」という立看板を無届、無許可で同校舎無限の庭に掲示した。

(41) 同月一六日、「法廷斗争宣言」というビラを無届、無許可で代々木校舎内において配布した。

(42) 昭和四二年一月一〇日、「不当処分撤回のクラス討論をより強固に発展させよう」という立看板を無届、無許可で右校舎無限の庭に掲示した。

(43) 同月一七日から一八日にかけて右校舎に無断登校し、合同委員会室に無届、無許可で宿泊した。

(44) 同月一八日、右校舎に登校し、一号館の教室で合同代議員会なる無届、無許可の集会を主催した。

(45) 同年二月六日、代々木校舎周辺の路上、小田急線代々木八幡駅付近および井の頭線駒場東大前駅付近で入学試験に参集する受験者とその父兄、その他の通行人に対し無届、無許可のビラを配布した。

(46) 同年四月一五日、「大学当局の暴挙を弾劾する」というビラを無届、無許可で湘南校舎玄関前において配布した。その中で「一号館の出入りを制服警官で警備させ、代々木校舎においては私服警官を導入した事は自ら大学の自治を国家権力に売り渡たし」と述べているが、これは事実無根である。

(47) 同月一八日、「新入生は社会科学研究会へ」というビラを無届、無許可で右校舎内において配布した。

(48) 同月二六日、「沖繩・砂川基地拡張を阻止し人民を守れ」というビラを無届、無許可で右校舎内において配布した。

(以上)

別紙四 (原告佐藤)

(1) 昭和四一年四月二七日、「東海大学学生新聞の発行禁止と我々の見解(湘南執行委員会)」というビラを無届、無許可で湘南校舎一号館入口付近において配布した。

(2) 同年六月一日、「六・一原潜反対抗議集会に参加しよう」というビラを無届、無許可で右同所において配布した。

(3) 同月七日、「本日教育問題討論会」、「私大経営と大学の自治 講師芝田進午」というビラを無届、無許可で右同所において配布した。

(4) 同年九月五日、「ベトナム戦の国際的意義」というビラを無届、無許可で右同所において配布した。

(5) 同月六日、「九・七原潜寄港反対横須加集会に参加しよう」というビラを無届、無許可で右同所において配布した。

(6) 同月七日、「本日六時アメリカ原潜寄港反対横須賀集会に参加しよう」というビラを無届、無許可で右同所において配布した。

(7) 同年一〇月五日、「砂子、橋本両理事を弾劾する」というビラを無届、無許可で右同所において配布した。

(8) 同月一〇日、「第三回定例代議員会」という看板を作成するため無届、無許可で右校舎湘南執行委員会室に宿泊した。

(9) 同月一一日、「第三回定例代議員会」という立看板を無届、無許可で右校舎第二食堂横に掲示し、「ベトナム侵略戦争、佐藤政府は戦争荷担をやめよ」というビラを無届、無許可で同校舎一号館入口付近で配布した。さらに、原告佐藤ほか四名が一階C翼ホールで看板作成のため無断で同校舎執行委員会室に宿泊した。

(10) 同月一三日、「ついに出されなかつた協助会帳簿」というビラを無届、無許可で右校舎第二食堂横において配布した。前記執行委員会が夜間の教室等の使用につき届出を提出するよう通告を受け、夜間宿泊者の氏名を問い尋ねられたところ、原告佐藤が責任を負うと答えてこれを明らかにしなかつた。

(11) 同月一四日、「第三回定例代議員会報告」という看板を右校舎第二食堂横に無届、無許可で掲示した。

(12) 同月一五日午後零時三五分頃から一時二〇分頃まで右校舎第二食堂横においてマイクを使用し、無届、無許可でアジ演説を行ない授業の妨害をした。

(13) 同月一六日、無届、無許可で右校舎執行委員会室において宿泊し、同校舎C翼において立看板を作成した。

(14) 同月一七日、「合同代議員報告」ならびに「十九日昼休み協助会帳簿提出要求全学集会」と各記載した立看板三枚を無届、無許可で、右校舎第二食堂横において掲示し、「十・十九昼休協助会帳簿提出要求全学集会」というビラを無届、無許可で同校舎一号館入口付近において配布し、さらに、無許可の集会を前記第二食堂横において開催し、マイクを使用してアジ演説を行ない、ビラを配布した。

(15) 同月一八日、無届、無許可で右第二食堂横において集会を開催し、マイクを使用してアジ演説を行ない、「本日代議員大会」というビラを無届、無許可で配布し、立看板作成のため無断で同校舎執行委員会室において徹夜した。

(16) 同月一九日午後零時四〇分から同一時四五分まで、授業時間に絶対くい込まないことを条件に全学集会(集会責任者原告佐藤)開催を許可したところ、二五分超過して授業中も続行し、再三解散を呼びかけられてもこれを無視して応じなかつた。

(17) 同月二〇日、右校舎第二食堂横において無届、無許可で立看板を掲示し、マイクを使用して事実無根の個人中傷をした。

(18) 同月二一日、無届、無許可で、「協助会問題討論会」および「明日再度全学集会を開こう」という立看板を右校舎一号館前広場において掲示し、同執行委員会室において宿泊した。

(19) 同月二二日、監査室(学生相談室)へ約一〇〇名の学生と共に入りこみ、器物を破損し、拡声器を使用し、制止を無視して授業の妨害となる放送をした。

(20) 同月二四日、右校舎正面広場において無届、無許可の全学集会を開催し、協助会緊急報告書の反論ビラを配布し、マイクを使用して事実無根の個人中傷をした。

(21) 同年一一月六日、「大学当局の弾圧に抗し我々の手で協助会刷新を」という立看板を無届、無許可で湘南校舎第二食堂前に掲示し、更に、同所で無届、無許可の集会を開きマイクを使用し演説した。

(22) 同月七日、「学友の処分は不当であり、責任は大学当局にある」というビラを右校舎一号館前広場において、無届、無許可で配布し、しかもその中で、「大学の資金源として始めていることであり」と述べているが、これは全く事実無根である。「不当処分撤回抗議集会」なる立看板を掲示し、同所において無届、無許可の集会を開き、マイクを使用して演説した。

(23) 同月八日、「大学当局のいわゆる『処分』に応えて声明」「協助会帳簿監査報告」、および「十一日の代議員会に向けてクラス討論を」というビラを右同広場において無届、無許可で配布し、更に同校舎第二食堂前で無届、無許可の集会を開き、マイクを使用し演説した。

(24) 同月九日、広報学科二年生のクラス討論に出席、逢坂助手が注意、討論終了後退室、さらに大学より立看板に「この立看は無届、無許可です。撤去して下さい東海大学」なるものを掲示した。また、使用禁止の右校舎一号館一階ロビーにおいて無届、無許可で立看板を作成した。

(25) 同月一〇日、「不当処分の抗議集会を」というビラを同校舎一号館前において無届、無許可で配布し、「協助会刷新は斗争のための斗争だつたのか」および「不当処分撤回全学協議会を結成」という二種の立看板を同校舎第二食堂前に設置し、さらに同所において無届、無許可の集会を開き、マイクを使用して演説し、C33教室午後六時よりの合同代議員会に出席した。

(26) 同月一一日、「合同代議員会の成功を湘南代議員会の成功へ、湘南の斗いを全学斗争へ」というビラを同校舎一号館前広場において無届、無許可で配布し、「合同代議員会の圧倒的成功を本日の湘南代議員会の成功へ」なる立看板を同校舎第二食堂前に掲示し、さらに同所において無届、無許可の集会を開き、マイクを使用し演説した。またC33教室で開かれた湘南代議員会に出席した。

(27) 同月一二日、「事実を歪曲し陰蔽する協助会報告とわれわれ学生の反論」、「不当処分撤回協助会刷新湘南斗争委員会の下、全クラスにクラス委員をつくろう」、「不当処分、除籍撤回、協助会刷新に向け団交要求のクラス決議を第五回湘南代議員会報告」なる三種のビラを同校舎一号館前にて無届、無許可で配布し、しかも「事実を歪曲し陰蔽する協助会報告とわれわれ学生の反論」というビラの中で「大学当局が協助会に対しかなり高額な借金をしている事実がある。このことは明らかに大学当局が協助会を利用しし、協助会の機構と資金を若干ながら使用していることが判明する」と述べているが、これは全くの虚偽中傷である。さらに「湘南斗争委員会設置」なる立看板を同校舎第二食堂前に無届、無許可で掲示し、さらに同所で無届、無許可の集会を開き、マイクをもつて演説をなし、同日午後四時三〇分頃からの集会への呼びかけを行なつた。

(28) 同月一三日、午前一〇頃より右校舎において無届、無許可の全学共斗委員会を開催した。

(29) 同月一四日、「『ルールはルールとして守れ』はかくれのみだ、学生の自主活動否定が本体だ」というビラを無届、無許可で右校舎第二食堂前において配布し、同所にて無届、無許可の集会を開き、マイクを使用し演説した。

(30) 同月一五日、「団体交渉」なる立看板を右校舎一号館前広場に掲示した。

(31) 同月一六日、「二先輩の我々の斗いに対する支援」および「不当処分撤回、協助会刷新の話合いを要求しよう」という二種のビラを無届、無許可で右校舎第二食堂前において配布し、「大学側責任者と全学生の話合いの場を持ち釈明をクラス討論会で要求しよう」という趣旨の立看板を掲示し、さらに同所にて無届、無許可の集会を開き、マイクを使用し演説する。

(32) 同月一七日、「不当処分撤回協助会刷新を我々の手で、大学当局は全学生に釈明せよ」というビラを右校舎一号館前において無届、無許可で配布し、同所において無届、無許可の署名運動の呼びかけをした。

なお使用禁止の一号館一階ロビーにおいて立看板を作成した。

(33) 同月一八日、「親愛なる学生諸君」というビラを無届、無許可で右校舎一号館玄関において配布し、「11、18全学集会」、「署名運動」という立看板を同所に掲示し、さらに同館前広場において無届、無許可の集会を開いた。

(34) 同月一九日、無届、無許可の署名運動実施の呼びかけをした。

(35) 同月二一日、「不当処分、不当除籍撤回、大学当局は学生会破壊の弾圧をやめよ」という無届、無許可の立看板を右校舎第二食堂前に掲示した。

(36) 同月二二日、「団体交渉要求全学集会」という立看板を無届、無許可で右校舎一号館前に掲示した。

(37) 同月二四日、「本日全学団交要求集会」という立看板ならびにビラを無届、無許可で掲示および配布し、右校舎一号館前広場で無届、無許可の集会を開いた。

(38) 同月二八日、「本日本校大集会」というビラを無届、無許可で右校舎一号館前において配布し、さらに同所で無届、無許可の集会を開いた。

代々木校舎五四一教室で開かれた各学部長および大学関係者と学生代表との話合いを妨害し、大学関係者を軟禁して同教室前に座り込みをした。

(39) 同月三〇日、湘南校舎第二食堂おうび一号館広場において無届、無許可の集会を開き、マイクを使用し演説する。

(40) 同年一二月一日、「処分された者が何故不当処分撤回斗争を斗うか」というビラを右校舎一号館前において無届、無許可で配布し、さらに第二食堂前にて無届、無許可で集会を開き、一号館C二二教室で開かれた代議員会に出席した。

(41) 同月三日、「不当処分撤回協助会刷新のクラス決議で12、6総会へ」というビラを右校舎第二食堂前において無届、無許可で配布し、その中で「ハンストに対し当局は医師を丸めこみ」と述べているが、これは全く事実無根である。

また、「再度我々に寄せられた工学部教授、助教授、講師団有志による支援文」というビラを一号館前において無届、無許可で配布した。

(42) 同月四日、A一一教室で総会打合せなる無届、無許可の集会を開いた。

(43) 同月五日、代々木校舎五四一教室で午後一時より開かれた学部長と学生代表との話合いに出席し、田代学生部長より退場を申渡され数十分後に退場した。

(44) 同月六日、広報学科クラス討論に出席し、湘南校舎一号館前広場において無届、無許可の集会を開き、マイクを使用して演説した。

(45) 同月七日、右校舎一号館前広場において無届、無許可の集会を開き、マイクを使用して演説した。

(46) 同月八日、「協助会刷新、時差通学反対、不当処分撤回新たな斗いに備えて各クラスに学園問題研究会を」というビラを右校舎一号館前において無届、無許可で配布し、C四七教室において無届、無許可の集会を開き、佐藤ほか三名無断宿泊した。

(47) 昭和四二年四月一二日、広報学科ガイダンスに出席し、時野谷助手指導に退席を命ぜられた。

(48) 同月一三日、右校舎三号館ホールにおいて無届、無許可でビラを配布、貼付した。

(49) 同月一四日、「砂川基地拡張阻止報告討論会本日PM4、56於346」というビラを右校舎三号館一階から五階までの各エレベーターホールの廻りにおいて無届、無許可で配布した。

(50) 同月二四日、「本日新入生歓迎集会」というビラを無届、無許可で右校舎三号館において配布した。

(51) 同月二六日、「緊急事態下の砂川」というビラを無届、無許可で右校舎三号館において配布した。

(52) 同月二七日、「沖繩解放統一行動」というビラを無届、無許可で右同所において貼布した。

(53) 同月二八日、「4、28沖繩解放統一行動」というビラを無届、無許可で、右校舎、一号館、二号館、三号館において赤旗、青旗を持参してマイクを使用し、演説しながら配布した。

(54) 同年五月一六日、「処分撤回裁判を支援する会ニユースNo2」というビラを無届、無許可で右三号館において配布した。

(55) 同月一九日、「処分撤回裁判を支援する会ニユースNo3」というビラを右三号館において無届、無許可で配布した。

(56) 同月二七日、「砂川基地拡張阻止云々」というビラを右三号館において配布し、右同館の各教室においてアピールおよび出席者の署名をした。

(以上)

別表五 (原告増淵)

(1) 昭和四一年五月一八日、「執行委員会アピール」というビラを無届、無許可で湘南校舎一号館入口付近において配布した。

(2) 同月一九日、二期オリエンテイシヨンの講演が右校舎二号館大ホールで行なわれた際これを妨害した。

(3) 同年六月二五日、「湘南執行委員会通達」というビラを無届、無許可で右校舎一号館入口付近で配布した。

(4) 同年一〇月三日、「湘南執行委員会通達」というビラを無届、無許可で右同所において配布した。

(5) 同月四日、右同内容のビラを無届、無許可で右同所で配布した。

(6) 同月五日、「砂子、橋本両理事を弾劾する」というビラを無届、無許可で右同所において配布した。責任者を明記して許可を受けるよう注意されたが従わなかつた。

(7) 同月七日、「湘南執行委員会通信」というビラを無届、無許可で右同所において配布した。

(8) 同月二二日、「東海大学協助会会則」というビラを無届、無許可で右同所において配布し、同日、砂子理事を協助会理事室に軟禁し、詰問する等精神的圧迫を長時間にわたり与えた。

(9) 右同日、「全学集会―湘南執行委員会」というビラを無届、無許可で右校舎一号館入口付近において配布した。また、同日午後零時四〇分から同一時三五分まで右一号館の前広場以外で行なうことを条件に全学集会開催の許可を受けたが、午後二時五〇分以降右広場において無届、無許可の前記集会を再開し、石田監事に対し帳簿を引渡すかどうかと詰問し、「つかまえろ」と執行委員に命じて同監事の退場を阻止した。

(10) 同月二四日、右一号館前広場において無届、無許可の全学集会を開催し、無責任者集会であると虚偽を述べた。

(11) 東海大学を除籍された後である同年一一月七日午後零時四〇分頃から同一時二五分頃まで、無届、無許可の抗議集会を右校舎一号館前広場において開催し、アジ演説を行ない、授業を妨害し、さらに、「学友の処分は不当であり責任は大学当局にある」というビラを配布した。

(12) 同月一〇日午後零時四〇分頃から同一時二五分頃まで無届、無許可の抗議集会を右校舎第二食堂横で開催し、マイクを使用してアジ演説を行ない、「不当処分抗議集会を」というビラを無届、無許可で同校舎一号館前において配布した。

(13) 同月二五日、無届、無許可で学生会室に宿泊した。

(14) 同月二八日、学部長と学生代表との「処分に関する話合い」の際、無届、無許可の集会を代々木校舎無限の庭で開き、学生を煽動し、右話合いが行なわれている同校舎二号館前五四二教室に押入つた。

(15) 同月二九日午後零時四〇分頃から同一時二二分頃まで右校舎一号館前広場において無届、無許可の集会を開き、授業を妨害した。

(16) 同年一二月六日午後零時四〇分頃から同一時四五分頃まで右校舎一号館前広場において無届、無許可の集会を開きマイクを使用してアジ演説を行ない授業を妨害し、さらに同校舎一号館前、裏、食堂前に「12月6日学生総会」という立看板および「建築学教室声明を正しく理解し、不当処分撤回斗争を推進しよう!!」というビラをそれぞれ無届、無許可で掲示しまたは配布した。

(17) 同月一三日、「本日PM4、45浅田光輝氏講演会」というビラを無届、無許可で右校舎一号館玄関において配布した。

(以上)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例